このページは、現代美術作家・清原健彦が、芸術や制作、社会について考えていることを記した思考の記録です。
制度や肩書きに依らず、「芸術家として生きるとは何か」を問い続けるためのページです。
—「日本における芸術の主語の奪還」試論
1. アウトサイダーの意味
私は、アウトサイダーの、アウトサイダーによる、アウトサイダーのためのオーセンティックな芸術空間—ゾーンをつくることを目指している。
清原絵画研究所のことである。
以下は、その考え方である。
芸術におけるアウトサイダーとは、専門教育を受けていない表現者、すなわち広義の庶民を指す。
洋の東西を問わず、古代から中世にかけて、芸術は特権階級が担う活動であった。宗教組織、宮廷、富裕層がそれを支え、享受してきた。
本稿では、こうした芸術を「インサイダーアート」と呼ぶことにする。
では、そのインサイダーアートは、今日の日本において、どのような性質を持っているのだろうか。
端的に言えば、それは外来の価値観を基軸に構築された文化圏である。
西洋古典の美的規範に則り、長い研鑽を積んだ者が入学する美術大学。これが制度の中核にある。
彼らは美術大学に入学した後、西洋古典の価値観を脱ぎ捨て、近代芸術(モダンアート)や近代以後(ポストモダン)の理念と実践を装備していく。
しかしその前段階として、十代後半という心身が最も研ぎ澄まされる時期を、西洋古典の人為的習得に費やすことになる。この影響は計り知れない。
この時期に形成された精神のありようは、その後の芸術的インパクトによっても、容易に変え得るものではないと、筆者は考える。
これは日本画学科においても同様である。日本画は明治以降に生まれた絵画様式であり、日本画を指導する学科は存在するが、浮世絵や南画を体系的に指導する学科は存在しない。
江戸期における事実上の美術アカデミーであった狩野派が、美術大学の制度に組み込まれることもなかった。
この構造は、明治以降の富国強兵政策とも無関係ではないだろう。美術は体育とともに、強い兵士をつくるための教科として重視された。正確な観察力、事実を的確に伝達する能力が求められたからである。
さらに工業化の進展により、正確な説明的描写は、正確なプロダクトを生み出すための最優先スキルとして画家に要求されるようになった。
こうした動きの結果、克明な写実的描写力が、人々にときめきを与える価値として強く位置づけられていき、近代芸術は、写実的描写力を備えた者が担う特権的な営みとして理解されるようになった。
「写実性こそが近代芸術の象徴」という認識が形成され、そのスキルによって日本の芸術家は必然的に「特権的存在」という命題を引き受けることになったのだ。
ちなみにこの傾向は日本に限らない。中国、韓国など、十九世紀に近代化を進めた東アジア諸国に広く見られる現象である。すなわちこれは、西洋化を推進した国々に共通する構造なのである。
しかし、それは当時の欧米の芸術が向かっていた方向とは逆行する選択であった。
皮肉なことに、日本が輸入した西洋近代美術の「元ネタ」は、新古典主義、ロマン主義、写実主義といった西洋古典の最終章—すでに終わりかけた文化潮流であった。
つまり「本家」たる西洋ですでに機能しなくなっていた—「オワコン」化した価値体系を輸入し、そのエートスとアティチュードを備えた者に、特権階級に属する「芸術家」の称号が与えられてきたのである。
これがインサイダーアートの本質だ—筆者はそう観察している。
しかし、この特権的文化が日本という土壌において本当に根付き、発展し得るのかは、不確かだと言わざるを得ない。
それは、日本人が芸術を理解しないからではない。むしろ逆である。日本では、庶民に根付いた下位文化(ローカルチャー)が、すでに高度な文化として機能してきた。特権的ハイカルチャーをあらためて要請する必要性は、そもそも乏しかったのである。
江戸時代、庶民文化として隆盛した浮世絵や歌舞伎を見てみよう。それらは、西洋に先んじて、市民階級が主体的に展開した文化活動であった。また、専門職能によらぬ南画も存在していた。
その一方で、十九世紀後半の西洋では、写真の登場によって写実の価値が揺らぎ、絵画の価値体系は大きな転換を迫られていたが、その転換に決定的な影響を与えたのが、他ならぬ日本の浮世絵であった。
世界貿易の本格化により、浮世絵は海を渡り、意気消沈していた西洋の画家たちに勇気と希望を与え、印象派という特殊な集団を生み出し、それがモダンアート形成の端緒となったのである。
これは、日本ではすでに庶民文化が、表現の自由や個人主義を重視する近代芸術の機能を先行して果たしていたことを示す、決定的な事例であった。
江戸期の日本では、庶民が求める高度な内容—微妙な心情の揺れ、崇高な精神性、切実な悩み、哲学的問い、社会的問題意識、美しい形式に対して、絵師、彫師、刷り師、戯作者、版元といった供給側が、高品質な表現を用意し、庶民の切実な精神的需要を満たしてきた。
この構造が、現代に至るまで確実に受け継がれている。
現代では、庶民が求める高度な内容に対して、イラストレーター、デザイナー、製版技師、印刷業者、ライター、出版社、広告代理店へと形を変えた供給側が、高品質な表現を用意し、庶民の切実な精神的需要を満たしてきた。
そして日本の美術エリートはむしろそうしたデザイン、出版、広告の現場にこそ生息していて、その流れは、カフェ、古書店、雑貨屋にも派生し、「風情」のDNAとして受け継がれていて、さらにそれは、演劇や映画へと接続され、日本独自の表現文化を形成してきたのだろう。
そしてそのフレームの上に、常にエキセントリックな変わり者が存在してきた。漫画界隈に生息するオタクである。
彼らは、他者の承認や評価の回路から距離を取り、徹底して自己中心的に美的快楽を追求し、一方でしばしば反体制的精神と社会批評の精神を発揮した。
この姿勢こそ、日本のリアリティに根差し、最も強度を維持した芸術的態度と言えはしないだろうか。
私は、いわゆるハイカルチャーと呼ばれるインサイダーアートの作家と漫画家を比較して見るたびに、その佇まいを含め、漫画家の中に、純正の芸術家のエートスを見出すのである。
彼らの仕事はやがて映画と結びつき、アニメやゲームという産業を形成し、今日に至っている。こうした文化は、生産性も品質も極めて高く、日本製コンテンツは世界中から要請されているが、それこそが、浮世絵の精神、技術、流通システムが印刷・出版文化へと引き継がれ、発展してきた証左である。
この背景から、日本では下位文化こそが正統文化であり、庶民が芸術の担い手として主体的に表現する必然性が、明確に浮かび上がるのである。
さらに、インサイダーに対置されるものとして、狭義のアウトサイダーアートにも目を向ける必要があるだろう。障害者アートや山下清の作品が、多くの人の心を捉えてきたのは偶然ではない。そこには、正規の美術教育を受けていないからこそ生まれる確かな何かが存在しているし、民藝運動もまた、民俗学と並走しながら、民の営みの中に聖性を見出そうとした試みであった。
しかし、そして。
その周囲には、膨大な数の民—一般庶民が生きていることを見過ごすわけにいかないだろう。
彼らすべてがアウトサイダーである。
アウトサイダーアーティストである。
彼ら庶民は、職場や家庭という現実の場で、ピンチ、理不尽、情けなさ、痛みと向き合いながら、経験知と情緒を積み重ねてきた。
その蓄積こそが、アウトサイダーが持つ最大の資源であり、それを表現へと転化することで、生産者として輝く可能性が生まれる—
私は、そうした一般庶民がオーセンティックであることを目指すゾーンとして、この芸術空間、つまり清原絵画研究所を構想している。
この国のアウトサイダーに、すでに自由は与えられている。芸術に取り組む自由も、芸術家を名乗る自由も。
だから私は自由ではなく、彼らに素敵なゲームを贈りたい。
ゲームは、自由、目的、障害で構成されている。
いま彼らに必要なのは、適切な障害—すなわちレールと自己規律である。
私は障害を用意する。
それを乗り越える形で彼らが変貌する(=実は、本来の状態を取り戻す)。
そのような過程を通して、アウトサイダーが正統なアーティストに変わる装置。
それが、清原絵画研究所が備えているべき機能と構造だと思う。
それを整備するのが私の職務だと思う。
2.アウトサイダーの宿命
さて、改めて言うまでもなく、ここまで述べてきたのは、過去の芸術史や文化史の話ではなかった。
いま、ここにいる私たち自身の話である。
表現者は二種類に分かれる。自分たちの洞窟を疑わない者と、疑う者だ。
疑わない者は、洞窟を祝福し、火を囲み、歌を歌い、楽しみを洞窟の内部で見つけ、そこで満たす。彼らはインサイダーである。
一方、洞窟を疑う者は、クライシスを察知し、外に出る。新しい洞窟を探す。彼らはアウトサイダーである。
ギリシアの英雄オデュッセウスは、アウトサイダーの代表例であった。
芸術はつねに、宿命と戦う英雄の冒険とともに生まれてきた。
紀元前1200年頃、環東地中海を席巻する「前1200年のカタストロフ」と呼ばれる大規模な社会変動が突如発生した。ヒッタイトの崩壊、エジプトにおける海の民の襲撃、ミケーネ文明の瓦解を経て、ギリシアに暗黒時代と呼ばれる時代が訪れる。輝かしい文明・文化が滅び去り、絶望に満ちた時代が到来したと考えられている。
そして、四百年間続いた暗黒時代が終わろうとする頃、 吟遊詩人ホメロスが英雄叙事詩『オデュッセイア』をうたう。トロイヤ戦争の英雄オデュッセウスが、 神の妨害や怪物との遭遇を経験しながら、妻の待つ国へ帰還する航海の物語である。
ホメロスは、神の意志にひれ伏すのではなく、不気味な凶事、不条理と理不尽にそのまま身をさらしながら前に進む英雄を描いた。
その自立精神が人々の心に火を灯し、行動規範を形成し、後のギリシア文明を方向づけた。芸術が文明を牽引したのだ。
しかし同時に、見過ごしてはならないことがある。
暗黒時代がなければ、英雄叙事詩は生まれなかった。絶望が芸術を胚胎し、育てるのだ。
さて、欧州においてこのサイクルは繰り返される。
ローマ人の傲慢を戒め、唯一神ヤハウェへの恭順を説く世界観が九百年間浸透していた中世世界(もう一つの暗黒時代)から離脱し、ギリシア・ローマ世界の復活を旗印に、十四世紀以降展開したのがルネッサンスであった。
やがてそのルネッサンスの精神が古典主義という名の教条となり、アカデミーにおいて体系化されたとき、今度はその古典主義打倒を掲げ、予定調和的に安定した「理性的社会」に背を向け、人智を超えた「荒野」を志向する一群の表現者が台頭する。ロマン派の芸術家である。
美術:ウィリアム・ターナー、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、ウジェーヌ・ドラクロワ、フランシスコ・デ・ゴヤ—
文学:ウィリアム・ブレイク、ジョン・キーツ、パーシー・B・シェリー、ゲーテ—
音楽:ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン—
彼らの表現には、孤独、逸脱、未完性、感情、激情、暗黒の叫びといったものが溢れている。
予定調和的に安定した「理性的社会」の内部に、彼らは穢らわしい腐臭を嗅ぎ取ったはずである。
そんな彼らが参照したのが、初期ギリシアの価値観であった。
『ダンテの小船(地獄の町を囲む湖を横切るダンテとウェルギリウス)』 を描いたロマン派の巨匠ドラクロワは、古典派から「狂気」と非難されるが、しかし一方で、若い印象派の画家たちを奮い立たせ、彼らが近代芸術を切り開くことになる。
ここに、ある一つの型が、くっきりと姿を表す。
芸術のあるべきプロトコルが、歴史の底から浮上する。
すなわち、芸術は、安定した社会形態にシリアスに反応し、その外部に向けて出発しようと企てる。
芸術は、狂気的で不穏な衝撃をもたらす。
芸術は、混沌と不条理をまるごと引き受ける、オデュッセウスのような英雄の姿を行動規範として体現する。
そして芸術は、不吉で不気味な海を渡って行く冒険行為と同質の衝動から、つねに出発する。
だが、そのような航海が、つねに可能であったわけではない。英雄が語られ、海が名指されていた時代は終わった。冒険の残像だけが残り、それを引き受ける者はどこかへ行ってしまった。
そして現在。
私たちは今、多様性の時代と言いながら、実際には、プリンシパルや精神、小宇宙を十分に持たない個人の集団となった。自らを信頼できず、足場を失い、ぐらついている。覚醒した意識によって判断するのではなく、周囲で起きる刺激的な現象、トレンドやバズに反応して生きている。そしてその状態に気づかぬまま、 自分をノーマルな存在だと思い込んで生活している。
私は、そのような現代人を、比喩的な意味でゾンビと呼ぶ。
意識や理性によってではなく、反射によって生きているからだ。彼らはデマゴーグに踊らされ、善意に基づいて他者を地獄に突き落とす。あるいは「素晴らしい芸術」というプロパガンダに従い、行列をなし、こぞって称えながら、本当に美しいもの、本当に大切なものに気づかずに通り過ぎるのだ。
しかし、それを見出した瞬間こそ、逆転的に覚醒は起きる。
自分たちがゾンビ社会に生きているという認識を持ち、 自分もゾンビかも知れぬと恐れながら、そこから脱出する意図を出発点として持つとき、「彼岸」へ向かう能動性が生まれる。そして表現を通して、社会からの脱出を、意志として企てる冒険が始まる。
私たちアウトサイダーは、それを使命としなければならない。
気づいてしまったのだから。
3.新しいゾーンを求めて
表現者は、二種類に分かれる。
洞窟に留まる者と、外に出る者である。
留まる者は現状を祝福する。
出る者は決別を決意し、一歩を踏み出す。
オデュッセウスが、そうしたように。
問われているのは、正しさではない。
洞窟に留まるか、それとも外へ出るか。
ただ、それだけだ。
付記
本論考は、完全無欠の理論を主張するものではない。
推論の域を出ない部分も多く、反証もあり得よう。
専門家諸氏の率直な批評を歓迎する。
用語解説
アウトサイダー:ある社会・集団・制度の主流(内部)に属さない人。
オーセンティック:本物の、真正な、作為や模倣ではない状態。
西洋古典:古代ギリシア・ローマを起源とする思想・芸術・美的規範の総称。
モダンアート:19世紀後半から20世紀にかけて成立した近代芸術。伝統的写実からの脱却を特徴とする。
ポストモダン:近代の価値観や大きな物語を相対化・批判する思想的潮流。
日本画:日本の伝統的画材・技法を基盤としつつ、近代以降に制度化された絵画様式。
狩野派:室町〜江戸時代にかけて活躍した日本の代表的絵画流派。
プロダクト:製品。工業的・商業的に生産される成果物。
新古典主義:18世紀後半に興った、古代ギリシア・ローマ美術を理想とする芸術運動。
ロマン主義:理性や秩序よりも感情・自然・個人性を重視した19世紀の思想・芸術運動。
写実主義:対象をできるだけ正確・客観的に描写しようとする表現態度。
オワコン:「終わったコンテンツ」の略語。流行や役割を失ったものを指す俗語。
エートス:個人や集団に共有される倫理観・精神的気質。
アティチュード:態度、姿勢、構え方。
下位文化(ローカルチャー):庶民の生活圏から生まれた、非制度的・地域的な文化。
ハイカルチャー:知識階層や制度によって正統と認められてきた文化。
浮世絵:江戸時代に発展した木版画。庶民文化を背景に広く流通した。
歌舞伎:江戸時代に成立した日本の伝統演劇。
南画:中国文人画の影響を受けた日本の絵画様式。
絵師:浮世絵などで下絵を描く職人。
彫師:版木を彫る職人。
刷り師:版画を刷る職人。
戯作者:江戸時代の大衆文学作家。
版元:出版・企画・流通を担った業者。
イラストレーター:視覚的イメージを描く専門職。
デザイナー:視覚や形態を設計する専門職。
製版技師:印刷用の版を制作する技術者。
ライター:文章を書く職業。
広告代理店:広告の企画・制作・運用を担う組織。
エキセントリック:風変わりな、常識から外れた。
コンテンツ:情報や表現を商品化したもの。
狭義のアウトサイダーアート:正規の美術教育を受けずに生まれた表現(例:精神障害者、知的障害者、独学、自己流など)。
山下清:日本の画家。アウトサイダー・アートの代表的存在。
民藝運動:日常の生活用品に美を見出そうとした文化運動。
クライシス:危機、重大な転換点。
オデュッセウス:ギリシア神話に登場する英雄。
環東地中海:地中海周辺地域。
「前1200年のカタストロフ」:紀元前1200年頃に起きたとされる大規模文明崩壊。
ヒッタイトの崩壊:古代アナトリアの強国ヒッタイト帝国の滅亡。
エジプトにおける海の民の襲撃:古代エジプトを襲ったとされる外来集団の侵攻。
ミケーネ文明の瓦解:古代ギリシアのミケーネ文明の崩壊。
ギリシアの暗黒時代:ミケーネ文明崩壊後の停滞期。
吟遊詩人:物語や詩を口承で伝えた詩人。
ホメロス:古代ギリシアの詩人とされる人物。
英雄叙事詩『オデュッセイア』:オデュッセウスの帰還を描いた叙事詩。
トロイヤ戦争:ギリシア神話に登場する大戦争。
後のギリシア文明:哲学・芸術・政治制度を発展させた古典ギリシア文明。
ローマ人の傲慢:ローマ帝国の拡張と支配意識を指す表現。
唯一神ヤハウェ:ユダヤ教の神。
もう一つの暗黒時代:中世ヨーロッパを指す比喩表現。
ルネッサンス:14〜16世紀に起きたギリシア・ローマ文化復興運動。
古典主義:ルネッサンスの美的規範を理想とする芸術思想。
アカデミー:芸術や学問を制度的に教育する組織。
ロマン派:ロマン主義の芸術家・思想家の総称。
『ダンテの小船』:ドラクロワによるロマン派絵画作品。
ドラクロワ:19世紀フランスの画家。ロマン派の代表。
プロトコル:手順、規範、取り決め。
プリンシパル:物事の中心となる原理・信条。個人の判断を支える「軸」。
トレンド:一時的な流行。
バズ:急激に注目を集める現象。
ゾンビ:ここでは比喩的に、思考停止状態にある人々を指す。
デマゴーグ:大衆を扇動する人物。
プロパガンダ:特定の思想や価値観を広めるための情報操作。