展覧会コンセプト


THE SHIPという名にこめた思い

 

清原絵画教室主宰 清原健彦

 

 

通常、美術は個人的営みと見なされています。

にもかかわらず、個人の力を集め、関連づけ、各パーツが有機的に連携しながら、チームとして前進する船のような展覧会を作ろうという目論みのもと、わたくしは「THE SHIP」を計画しました。なぜなら、準備の過程で生じる「誰かの役に立つ、機能している」という状態こそ、個人主義世界に伴う孤独を克服し、こんにちわれわれが失いかけている、晴れやかな生の歓びを回復する有効な手立てになると考えたからです。

 

したがって本展で私たちが示そうと試みるのは、「船という象徴で表された、自己練磨と協力の集合としての絵画教室の姿」です。船に乗り、技術を身につけ、保証のない有形無形の富を探し、助け合いながら一人前のクルー(美術家)に成長する。そういう経験の場を示し、普及すること。つまり冒険にいざなうこと。それが本展の動機です。

 

この資本主義社会で生き残るにはリスク(損害の可能性・不確実性)を愛し、受け入れ、制御する知恵と勇気が要求されます。背負ったリスクに応じて報酬を得るのが資本主義社会の仕組みだからです。こんにち、多くの人がリスクのない固定的な労働者であることに限界を感じているように見えます。素直な服従に対し相応の安寧が約束されていなければならないのに、その信頼が危ぶまれているようなのです。世界初の株式会社とされるオランダ東インド会社は、大航海時代に生まれましたが、私たちは従順な労働者をやめ、(たとえば美術というプログラムを装備した船で)新世界を目指すべきではないか?そんな問いを原動力とし、みんなが抱く空虚感、危機感を拾い上げて進む船となり、鑑賞者を(たとえば美術という)冒険に駆りたてることができないだろうか?そのような絵画教室の姿を提示する。それを目指しました。
 
それにしても、芸術は冒険と関係があるのでしょうか?
ええ、おおいに関係があると私は思います。芸術は、宿命と戦う英雄の冒険と密接に結びついています。

紀元前1200年頃、環東地中海を席巻する「前1200年のカタストロフ」と呼ばれる大規模な社会変動が突如発生しました。ヒッタイトの崩壊、エジプトにおける海の民の襲撃、ミケーネ文明の崩壊を経て、ギリシアに暗黒時代と呼ばれる時代が訪れます。輝かしい文明・文化が滅び去り、絶望に満ちた時代が到来したと考えられています。そして400年間続いた暗黒時代が終わろうとする頃、吟遊詩人ホメロスが英雄叙事詩「オデュッセイア」をうたいます。トロイヤ戦争の英雄オデュッセウスが,神の妨害や怪物との遭遇を経験しながら、妻の待つ国へ帰還する航海の物語です。ホメロスは、神の意志にひれ伏すのではなく、不気味な凶事、不条理と理不尽にそのまま身をさらして前に進む英雄を描きました。その自立精神が人々の心に火を灯し、行動規範を形成し、その後のギリシア文明を作ったと見なすことができます。芸術が文明を牽引したと言えるでしょう。一方、暗黒時代がなければ英雄叙事詩は生まれなかったのではないかいう思いが自分にはあります。絶望が芸術を胚胎し、育てるのです。

 

さて、欧州においてこのサイクルはくり返されます。ローマ人のような傲慢を戒め、唯一神ヤハウェへの恭順を説く世界観が900年間浸透していた中世世界(もう一つの暗黒時代)から離脱し、ギリシア・ローマ世界の復活を旗印に14世紀以降展開したのがルネッサンスでした。全裸の異教神ビーナスを描くのは、リスクが伴う行為であったと思います。そして今度はルネッサンスの精神が古典主義という名の教条となり、アカデミーにおいて体系化されますが、その古典主義打倒を掲げ、予定調和的に安定した「理性的社会」に背を向け、人智を超えた「荒野」を志向するロマン派が台頭します。彼らが参照したのが、初期ギリシアの価値観でした。「ダンテの小船 (地獄の町を囲む湖を横切るダンテとウェルギリウス)」を描いたロマン派の巨匠ドラクロワは、古典派から「狂気」と非難されますが、一方で若い印象派の画家たちを奮い立たせ、彼らが近代芸術を切り開くのです。このように、安定・停滞した社会形態に狂気的に不穏な衝撃をもたらすのが芸術であり、混沌と不条理をまるごと引き受けるオデュッセウスのような英雄の姿を行動規範とし、体現した者が偉大な芸術家になるのでしょう。

 

以上、芸術が、不吉で不気味な海を渡って行く冒険行為と同様の衝動で結びついていることを考察しました。

私たちの多くは、はもはや信頼すべき価値観を共有していない、個人主義という名の空虚な空間に生きているようです。しかしその認識を出発点として持つとき、「彼岸」に向かう能動性が生れます。それは社会からの離脱を意味しますが、社会への帰還をも意味するのでしょう。オデュッセウスがそうしたように。
この展覧会が、ご覧になった一人一人の能動性に火をつける起爆剤になることを願います。

ぜひご高覧ください。 

 

ところで、上記のことはすべて後付けの口上で、これらの考察が展示された個々の生徒作品には反映していないことを吐露しなければなりません。各個人の作品は「THE SHIP」という主題とは関係なく描かれたものですが、それは本来的なありさまとしてご了承いただきたく存じます。(たとえば「船」という)他者のプログラムによって作られたものを純粋美術と呼ぶことはできず、本展もまた、作家の自発的衝動で行われたものを尊ぶという近代芸術の原則に従っています。「THE SHIP」は、この口上を含め、作品展示の周辺に与えられた、いくつかの後付けの装飾の名です。しかしこんにち的な意味を持つ装飾だとわたくしは思います。そのささやかな趣向を、会場にてご確認いただければさいわいです。 

 

 

■会期中関連企画

オープニングパーティ 2月29日(土)18:00~ 参加無料
「ペン1本でアートしよう!」10分間ワークショップ 随時開催 参加無料

 

 


参照画像 -船を描いたロマン派の画家たちー(本展には展示されません)

 

ターナー「ミノタウロス号の難破」

 

 

ドラクロワ「ダンテの小舟」

 

 

ジェリコー「メデューズ号の筏」